センター便り 2017年2月

この冬はずいぶんと寒暖の差が激しくて困ります。南風と共に4月並の気温になったかと思うと、北風と共に急に冷え込んだり。しかし最近の天気予報は、天気のみならず気温や風速まで正確に予測してくれます。すごいと思います。科学技術が進歩するほど予測が確かになる。そして何日も先のことがわかるなんて、まさに未来予測です。いずれは天候を自由に操ることができるような時代が来るかもしれません。

以前にもお知らせいたしましたように、東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センターは、今月末で分室(新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル4階)を閉鎖し、3月からは、新宿区河田町の膠原病リウマチ痛風センター本部に一本化して診療を行います。今までNS分室に通院されていた患者さんにはご面倒をおかけいたしますが、本部で今まで通りの診療が受けられるように尽力いたしますので、何卒ご理解をお願いいたします。

NS分室は膠原病リウマチ痛風センターの発祥の地であり、当センターの歴史を作ってきた記念すべき場です。私は今から34年前、昭和57年12月に当センターが設立された時に東京女子医大に赴任し、その後の34年間を過ごしてまいりました。当然のことながらNSビルには、とてもたくさんの思い出が詰まっています。

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【昭和57年開設当時の待合室】

現在では高層ビルが立ち並ぶ西新宿ですが、もともと西新宿は広大な淀橋浄水場跡地であり、NSビルが竣工した昭和57年には、まだまだ広い空間がありました。内部に巨大な空間を有するユニークなNSビルの4階に当センターが創立されたころ、NSビルの西側、現在の東京都庁の場所は未舗装の駐車場でしたし、東側、現在のモノリスビルの土地は消防庁がやぐらを組んで消火訓練をしていました。都庁の巨大なビルもなく、NSビルの窓からは新宿西口公園の満開の桜を楽しむことができました。

当センターはNSビル4階の北東角に、診察室3つしかない小さなクリニックとして誕生しましたが、諸先輩方の先見の明に加えて、リウマチや痛風を名称に冠した医療施設が珍しかったこともあり、あっという間に患者数が増えました。施設も大きくなり、NSビルの中で移転を繰り返し、NSビルの3階、4階、7階に広い面積を占めた時もありました。診療室だけでなく、手術室や実験を行う研究室まであったのです。ついには手狭になって1992年に若松河田に本部を移転しましたが、それからもNSビルの診察室は、分室として当センターの発展を支えてきました。

この間に多くの医師がこの場で学び、貴重な経験をして、そして巣立って行きました。NSビルでリウマチ診療に従事したことがある教授を指折り数えると20名を超えます。私もその一人ですが、この34年間、NS分室でとても多くの患者さんを診察し、貴重な経験をいっぱいさせていただきました。まさにNSビルは私たちを育むゆりかごのような存在だったように思います。NSビルと、通院していただいた多くの患者様に改めて感謝したいと思います。NS分室の診療は2月25日(土)をもって終了いたします。最後の診療が終了したら、34年間の長い時間をふりかえり、ちょっとセンチメンタルな気分で、「ありがとう」と、NSビルに別れを告げるつもりです。

3月からは、河田町の膠原病リウマチ痛風センター本部に一本化して診療いたします。今後とも、より良い医療の実現に向けて精進しますので、患者様方や関係の皆様のご理解とご協力を切にお願いいたします。

2017年2月

東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター 所長 山中 寿