センター便り 2016年7月 |
歴史を考えてみれば、現在ほど平等な社会が達成された時代はないと思います。日本に生まれた人々は、等しく教育を受ける権利も、医療を受ける権利も、そして幸せになる資格も持っています。もちろん全く平等かと言われれば、そうではないでしょう。でも日本の歴史、世界の歴史を考えれば、その不平等さは無視できるほど小さいと思います。 平等には「機会の平等」と「結果の平等」があります。同じだけのチャンスを与えるから、その先は能力次第。努力した人は報われ、努力しない人は報われない、というのが「機会の平等」。個人の能力や努力は関係なく、頑張る人も頑張らない人も同じように扱われ、同じように報われる、と言うのが「結果の平等」です。一般的には「機会の平等」が本当の平等で、「結果の平等」は社会主義国の発想だと思われています。しかし、成熟した社会では、「機会の平等」は保証しながら、結果として社会的弱者になってしまった人たちには、温かいまなざしと援助を行って「結果の平等」を目指す、と言う図式が好ましいのでしょう。 地震や豪雨などの災害、そしてさまざまな病気。これらは平等には起こりません。地震や災害の起こる土地もあれば、起きない土地もある。病気に苦しむ人もいれば、病気など全く関係がない人もいる。社会制度は「機会の平等」を保証できても、この不安定な地球で生きていくうえでは「機会の平等」が保証されていないことがいっぱいあります。しかし、人間は皆、同じように生きる権利があります。成熟した社会であれば、「機会の平等」が保証されない場合は、できるかぎり「結果の平等」を求めて行動することが社会人として正しい生き方だと思います。災害援助も、医療も、介護も。結果として辛い目に会わなかった自分自身の幸せに感謝しながら、辛い毎日を送ることになってしまった人々に、温かいまなざしと力強い手を差し伸べることが大事だと思います。 私たちは、医師として、医療スタッフとして、病気で辛い思いをされることになってしまった人々を援助できる立場にあります。そして、少しでも「結果の平等」と言える状態に近づけられるように、温かいまなざしで医療を実践できるように、日々精進したいと考えています。 固い話になってしまいましたことをお詫びします。あと少しで梅雨明けです。じめじめした梅雨空は健康管理の大敵ですが、梅雨明け後の灼熱の太陽もまた強敵です。くれぐれもご自愛いただけますよう、お願い申し上げます。 2016年7月2日 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター 所長 山中 寿 |