センター便り 2016年3月 |
3月になり、急に春めいてきました。まだコートは手放せませんが、暖かい陽光のぬくもりに春の訪れを感じると何となくウキウキした気分になってきます。しかし、現代の我々は、季節の移ろいに対する感じ方が鈍くなったのではないかと思っています。暖房や暖かい衣類のお蔭で、冬でも快適に暮らせます。夏だって、冷房やクールビズのお蔭で昔よりずっと快適です。冬が寒くてつらかった時は、春の訪れが待ち遠しく、そのかわりに春の陽光を全身で享受できました。夏が暑くてつらかった頃は、秋風の到来を今か今かと待ったものです。でも今は、春の陽光も、秋の涼風もそんなに嬉しいとは思わなくなっています。年中快適に生活できることと引き換えに、四季の移ろいに対する感性が低下しています。言葉の上で季節感を語っても、それが実感として伝わらないのは、冬の寒さや夏の暑さを辛く感じなくなったためだと思います。冬の寒さや夏の暑さがつらいと感じていた時の方が、春や夏の訪れに感謝の気持ちを持てたと思います。 人は皆、つらい思いをした時ほど、平穏無事な時をありがたく感じ、そこに感謝の気持ちが生まれます。そして、つらい思いをした人ほど、人のつらさが理解できます。病気はその最たるものではないかと思います。病気になってはじめて、健康のありがたさを感じます。すべての病気は、程度の差こそあれ患者さんの人生の一部を損ないます。病気と共に生きることは、自分の人生の一部を犠牲にすることとも言えます。医療の進歩により、多くの病気はかなり治療できるようになりましたが、残念ながら多くの病気は完治しません。したがって病気と共に生きねばならず、そのために、今までより健康に注意せねばならない、食事も気をつけねばならない、病院にも通わねばならない、薬も飲まねばならない、副作用も気にせねばならない、場合によっては手術を受けなければならない、など、それまで考えなかったことを考えなければならず、時間を使わなくても良いことに時間を取られることになります。もちろん病気の経過が思うようにならない時のストレスも大きいと思います。 しかし、悪いことばかりではありません。病気になった人は病気にならない人よりも健康の大切さをわかるはずです。自分に優しくなれるでしょうし、人に対しても優しくなると思います。そして治療を受け、病気のためにできなかったことが、一つ一つでもできるようになると、喜びを感じます。病気の問題が一つ一つ解決するたびに、感謝の気持ちも生まれると思います。病気を持った人は、病気を持っていない人よりも心が豊かではないかとも思います。 あるリウマチ患者さんの手記に、次のような一文がありました。 「病気になっても病人になったらあかん」 病気になったのは仕方がない、そのことを受容する一方で、病気なんかに負けていられるか、という強い意志を感じ、感動しました。そして、我々が医療者として何ができるのかを考えさせられました。患者さんの苦しみを少しでも和らげることが我々の仕事であることを今一度自覚し、また日々精進したいと思います。 季節の変わり目です。今年はインフルエンザの流行が遅れましたので、インフルエンザと花粉症の両方が日本列島を覆っています。くれぐれもご自愛のほど。 2016年3月1日 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター 所長 山中 寿 |