センター便り 2015年9月

2015.9sentahdayori

 今年の夏はあんなに暑かったのに、8月下旬から一転して冷夏の様相になりました。残暑の時期を通り越し、駆け足で秋がやって来た気配です。半袖では涼しすぎるほどになってきましたし、クーラーのお世話になる時間もうんと減りました。暑い日はあんなにクーラーのありがたさが身に染みたのに、涼しくなって必要性が減ってくると、「クーラーなんて体に良くないよね」などと勝手なことを言ってみたくなってきます。

時々ふと考えます。エアコンも扇風機もなかったら、自分はどんな生活をするだろうか?

人類(ホモ・サピエンス)が誕生してから20万年になります。その間、人類は自分たちの生活が豊かになるようにずっと工夫してきました。寒さから身を守るために衣服を開発し、風雨に耐えられる建物を開発し、敵から家族を守るために武器を開発し、思いを共有する人たちが協力する社会を開発してきました。餓えを防ぐために農耕を開発し、病気を克服するための医療を開発してきました。我々はその偉大な開発の歴史のいちばん末端にいて、その恩恵を享受できる立場にいます。そして、その恩恵を受けることが当然のことと思い、受けられない場合が不当なことのようにすら思ってしまいます。

しかし、自然の中のちっぽけな存在である我々は、どんなに社会が成熟し、どんなに技術が開発されても、自然のもたらす災害や、加齢や、病気から完全に逃げることはできません。我々が不動と信じて疑わない大地すら不安定であって、地震や火山の噴火も起こるのです。極めて精巧に作られている人間の体も、必ずと言ってよいほど不調をきたします。何の問題もなく一生を終える人はほんの一握りかもしれません。医学の進歩によりコントロールできる病気はとても増えましたが、残念なことに完全に治る病気は、まだ多くないのが現状です。

でも、人間には身に降りかかる災難をプラスにする力があるように思います。地震や台風を経験すると平穏な気候のありがたさを感じます。辛い経験をすると平穏な人生のありがたさがわかります。病気を経験すると健康のありがたさが身に沁みます。治らないまでも病気が「寛解」すればありがたいと思います。

その、「ありがたい」と思う感謝の心は人間を優しくするように思います。そして心の中に感謝の気持ちを多く持つ人ほど、他人に優しく接することができると思います。自らの身に不幸が降りかかった場合でも、その不幸を呪うのではなく、他人を恨むのではなく、自分を貶めるのでもなく、その不幸からちょっと視点を外して、何か身の回りに心から感謝できる何かがないか考えると、意外に平常心が取り戻せるように思います。だって、現代に生きる我々は、本当に感謝すべきものが身の回りにいっぱいあるのですから。

先日のテレビ番組で、テレビも時計もない旅館の紹介がありました。確かに、テレビも時計もない時間は貴重かもしれません。さらにスマホの電源もオフにして、エアコンも扇風機もない時間を過ごすことができれば、何か新しい発見があるかもしれません。そして今までにない感謝の念が生じるのではないでしょうか?チェックアウトの時間もなければもっと良いですが。

私もいろんなことに感謝しながら、日々を送りたいと思います。

急に涼しくなってきました。お風邪など召しませんように。

2015年9月1日

東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター 所長 山中 寿