センター便り 2014年9月 |
毎月この記事を書くようになってから、季節の移ろいに敏感になったように思います。しかし今年の夏は季節の移ろいという情緒的なものではなく、気温の変化がひどいですね。8月上旬は灼けるように暑かったかと思うと、8月下旬は上着が欲しいほどに気温が下がりました。また各地でひどい豪雨が降り、大きな災害が生じて多くの犠牲者が出ました。自然の猛威の前では、われわれ人間はかくも無力だと、改めて思い知らされました。 3年半前の東日本大震災以降、連続して自然災害が多いようにも思います。母なる地球は、太古の昔から人類に対しては寛容にふるまってくれていたはずですが、人類が野放図に山を削ったり、海を埋め立てたり、また人々が思想や宗教の違いでいがみ合ったりすることに怒り、堪忍袋の緒が切れてしまったのではないかとも思います。今、人類全体が自然に対して敬虔な畏怖を持つ必要性を考えてみる時期なのかもしれません。
この世の中には人知の及ばぬことがあることは誰もが知っています。そのような時に助けを求める気持ちが「祈り」だと思います。特定の宗教の話ではなく、日本人は八百万(やおよろず)の神に対して祈る気持ちを共有しています。初詣で今年一年の無病息災を祈る、家内安全を祈る、世界平和を祈る。登山してご来光を見た時に思わず柏手を打つ。それは儀式でも風習でもなく、我々の心の底から湧き出てくる気持ではないかと思います。自然が、母なる地球が何とかしてくれるのではないかとの思いから祈るのだと思います。苦しい時の神頼みと言いますが、それでもいい。苦しい時には祈ればいいと思います。 病気を患った時、これからどうなるのだろうと誰もが思います。今までと同じ生活ができるのだろうか、家族に迷惑をかけないだろうかなど、不安が大きいほど、何とかしてほしいと祈る気持ちが強くなります。もちろん医学は進歩しています。そして、このような不安をかなり解決できるまでになりました。しかし、すべての不安を取り除くまでには至っていません。痛風はほとんど完璧にコントロールできる病気になりましたが、それでも薬は飲み続けないといけない。関節リウマチもかなり治療が進歩しましたが、治療がうまくいかない場合も少なくありません。膠原病患者さんの予後もかなりよくなりましたが、まだまだ分からないことが多い病気です。今後、どんなに科学が進んでも、祈る必要がなくなる時代は来ないと思います。逆に、科学技術が人知を超える領域に踏み込んだ時にこそ、祈る気持ちが必要になると思います。 病気の治療も、科学技術を応用して人知が及ばぬところに足を踏み入れているものだとも言えます。新薬も、先進的な手術も、未知の領域を開発せねばなりません。患者さんが祈るような気持ちで毎日を送っているように、私たち医療スタッフも祈るような気持で治療に当たっています。何とかこの薬が効いてほしい、どうか副作用が出ないように、私たちも心の中で祈っています。 どうか、皆様、是非よくなっていただきたいと、ここに改めてお祈りいたします。 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター所長 山中 寿 |