センター便り 2012年11月

急に寒くなりました。つい先日まで半袖1枚で大丈夫だったのが、今はコートが欲しいほどの気候です。季節の変わり目は体調を崩しがちですので、皆様ご注意ください。

先月の明るい話題は何と言ってもiPS細胞を開発された京都大学・山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞受賞でしょう。この話題は、いろいろな病気の今後の治療にも関係することなので、少し説明します。

一般にノーベル医学生理学賞は、その人の発明や発見した研究が実を結んで社会に大きな貢献をしてから授与されるものですが、山中伸弥教授ご自身が「私はまだ一人も救っていない」と発言されているように、iPS細胞自体はまだ臨床応用されていません。そのような研究がノーベル賞受賞に輝いたのは今後に対する期待があまりにも大きいと評価されたためではないかと思います。

たしかにiPS細胞の革新的技術は素晴らしいと思います。一方向性に分化するようにしかプログラムされていない細胞を一気に元の状態に戻し(初期化)、どんな細胞にも分化しうるような人工細胞を作ったわけです。iPS細胞に特定の成長因子を加えると特定の細胞に分化させることができます。多種類の細胞により複雑に構成されている臓器を作るのは難しいと思いますが、同じ細胞の塊からなる組織をiPS細胞から作るのは比較的容易でしょう。したがって、自分のiPS細胞から網膜、角膜、筋肉、心筋、肝細胞、骨、軟骨などを作り、悪い部分と取り換えるようなことは比較的近い将来に実現するのではないかと思います。関節リウマチの場合は患者さんの傷んだ軟骨を患者さん自身の細胞から作ったiPS細胞を利用して修復することなどが可能になるでしょう。そのほかにも病気の人のiPS細胞を解析して病気の原因を探ったり、薬剤開発に役立てたりすることも可能になるでしょう。実際にいろいろな可能性があり、夢は大きく広がります。またiPS細胞は自己の細胞から人工的に作成するので、他人の細胞では起こる拒絶反応も起こりません。そのために倫理的問題もないと言う人もいます。

しかし、遺伝子を自由に操って細胞を望みの形に変え、それを体に戻すことは、ある意味で「神の領域」の技術です。iPS細胞のような技術革新は「パンドラの匣」を開けることにはならないのかという漠然とした不安を多くの人が持っています。いくら自分の細胞から作成した臓器であるからと言って、耐用年数の過ぎた臓器だけを取り換えて生き続けることが許されるのかどうか、よく考えて真剣に議論せねばなりません。科学技術はどんどん進歩して不可能は可能になります。それはかなり確かなことです。しかし、人間社会がそれを受け入れることができるかどうかが実現できるかどうかの大きな問題になります。このことに限ったことではないですが、21世紀においては社会の進歩は技術の進歩より明らかに遅いのです。

ちなみに、私も同性の山中ですが、山中伸弥教授は残念ながら私の弟でも親戚でもありません。同姓として名誉なことで心より祝福いたしますが、テレビなどで山中教授と呼ばれると私まで何かと嬉しいような気恥しいような気になります。

2012年11月1日 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター 所長 山中 寿