センター便り 2019年2月

sentatayori02平成最後の…という表現がテレビやネットで踊っています。あまり気づいておられないかもしれませんが、これは歴史的には極めて珍しい表現なのです。今から31年前。昭和最後の・・・なんてことは言わなかったですよね。大正最後の・・・も、もちろんありませんでした。従来は、天皇陛下の崩御があって初めて改元したので、次の年号など庶民は誰も考えませんでした。ところが、平成天皇が生前皇位移譲を宣言されましたので、今年の4月末をもって平成が終わることが確定し、その結果として、我々に平成がどのような時代だったかを考える機会が与えられました。次の時代が来てから、平成を振り返っても同じじゃないか。結果論ではそうかもしれません。でも、平成というひとつの時代が終わろうとしている今、生きている平成を振り返る作業は、もはや過去になった平成を眺める作業と、意味が違うと思います。

平成元年は1989年、私はまだ35歳でした。当時のリウマチ治療と言えば、ボルタレンなどの抗炎症剤やステロイド以外には、注射金剤、メタルカプターゼ、リマチル、リドーラなどの抗リウマチ薬が使われていました。しかし、どれも関節破壊の進行を抑えることができず、寛解などは夢物語でした。ところが、その後に次々と薬剤が開発され、メトトレキサートや生物学的製剤も日常診療に使える時代になり、リウマチ診療は格段に進歩しました。半数以上の患者さんが寛解状態で日常生活を送れるまでになりました。この間に、私たちは新しい薬剤の開発にも関与してきました。そして、数多い薬剤をどのように使えば、患者さんにとって最適の治療が行えるかという方法論も議論してきました。東京女子医大で2000年に開始したIORRA(当初はJ-ARAMIS)調査は、患者さんのご協力のお陰により、今年で19年目を迎えますが、最適な医療を考えるうえでの貴重な資料になりました。どうすれば寛解になるかだけでなく、寛解になった患者さんが、どうすれば幸せな生活を送れるかなども、考える時代を迎えました。このように平成の31年間、医学は着実に進歩しました。まだまだ不十分な点だらけではありますが、医療事情も確実に改善しています。

残念ながら、平成年間にリウマチを治癒させる治療法は開発できませんでした。リウマチの発症を確実に予防する方法も発見できませんでした。これらは「夢」として次の時代に送りたいと思います。政治や外交、主義主張は、右に左にぶれますが、科学技術はまっすぐ進歩を続けます。リウマチを克服することは、平成には叶わなかった夢ですが、次の時代に叶うことを心から念じたいと思います。

ネットなどでは、次の元号の予想が盛んです。西暦645年の大化から平成まで、実に247の元号が定められてきましたが、さて次はどうなるか。個人的には、夢や希望をもてる明るい社会になってほしいと思いますので、「光」という漢字が入るといいな、と思っています。4月1日には発表とのことですが、皆さんはどのように予想されますでしょうか?

寒い日々が続きます。インフルエンザも猛威を振るっています。くれぐれもご自愛あれ。

2019年2月1日

東京女子医科大学病院 膠原病リウマチ痛風センター 教授 山中 寿