センター便り 2018年12月 |
早いもので今年も12月。平成最後の年の暮れになりました。もう12月か、あっという間の1年だったなと思います。年を取るにつれて1年が短く感じられるのはなぜだろうと思います。小学生の頃は、夏休みが終わって、冬休みが来るまでの時間はとても長かったですし、1年なんかは気が遠くなるほど長い時間だったように思います。ところが、今の1年は本当に短い。1週間などあっという間に過ぎ去る感じです。どうやら、体感的な時間の流れは物理的な時間の流れと違うようです。 こんな仮説があります。「人生の長さで1年を割ったものが、1年の体感時間」。つまり、10歳の時の私の1年は、私の人生の10分の1でした。ところが、現在64歳の私の1年は、私の人生の中の64分の1でしかありません。したがって、64歳の中では、私が10歳の時より6.4倍も速い速度で時間が流れているということになります。 もしそうだとすると、人生の半分となる折り返し点はどこになるのかを考えてみました。80歳まで生きる人の折り返し点は、普通に考えれば40歳です。しかし、体感的な時間では、1年は毎年毎年短く感じるわけですから、折り返し点はもっと若い時代になるはずです。そこで、ちょっと計算をしてみたところ、80歳まで生きる人の体感的折り返し点は、なんと7歳であるという結果が出ました。同様に64歳の私の人生の折り返し点は、何と6歳でした。私が生まれてからの6年間と、その後の58年間の体感時間が同じだとは、本当にびっくりです。でも、よくよく考えてみると、赤ん坊として生まれてから6年間の成長速度はすさまじく、その後58年間と同じと言われれば確かにそんな気もします。知識を獲得した量も、全くゼロで生まれてからの6年間とその後58年間では同じくらいと言われれば、悔しいことですが、何か納得できる気がしてきました。さらに、時間が早く流れるということは、一つの仕事をするのに時間がかかるということです。同じ距離を歩くのにも時間がかかるということです。つまり、年齢を重ねるたびに時間の流れを速く感じるだけでなく、実際に自分の周りの時間の流れが速くなるのだ、これが「老い」なのではないかと考えれば、これも理解できる気がしてきました。 半村良の「妖星伝」には、「時間が意思を持つ」という奇想天外な話が出てきます。物理法則では普遍にして不変のものである時間も、我々の体の中では流れる速度が変わる。有意義で楽しい時間と、無意味でつまらない時間でも、時間の流れる速さは変わる。当然、個人差もあるでしょう。昨今の働き方改革で、勤務時間が物理的に厳しく制限される風潮の中で、自分の中の時間の流れはどうなのかと考えてみるべきではないか、と思いました。 平成最後の年末です。平成の30年間には、どんな時間が流れていたのだろうと思いを巡らせてみたいと思います。 2018年12月1日 東京女子医科大学病院 膠原病リウマチ痛風センター 教授 山中 寿 |